ふざけた黒猫

VGプラス(Kaguya)の井上彼方といいます。

シマウマのしまを数える

『グッド・オーメンズ』見て、天使ではないけど天使っぽい存在の話を書きたくなった。それから京都では雪が降っていてとても寒いので、そんなお話。

 

『文体の舵をとれ』の課題作です。合評会での講評を踏まえて、少しだけ改稿しました。

 

「シマウマのしまを数える」

シマウマの縞の本数を正確に数えることができたら本物の天使になれるよ。今となってはからかわれただけだとわかるニエベの言葉を、それでもユキは忘れることができなかった。だからシマウマを目にすると思わず縞を数えてしまう。カウントは顔から始める。右目の目頭から左目の目頭まで、顔の正面の縞を数える。次は顔の側面だ。口元から始めて首に向かって数えていく。この辺りで迷いが生じる。途中で二本に分かれている縞は、一本なのだろうか、二本なのだろうか。どうしようかと迷いながら目をパチパチさせていると、数えていたシマウマが立ち上がって歩き始める。ああ、動かないで……と思いながら目で追いかけると、ユキの視線を遮るように浮かんでいるサルジュと目があった。瞬きもせずに5秒は見つめ合っただろうか。恋には落ちなかった。サルジュはくるりと向きを変え、餌やりタイムを繰り広げているコンドルの檻へと向かう。振り返らなくてもユキがついてきているであろうことはわかる。2年前、ユキがこの動物園に来た日のことを、サルジュはよく覚えている。その後数日間降り続けることになる雪が、まだ降り始めたばかりのタイミングで、サルジュたちは忙しかった。ユキを引き連れて園内を回る。バタバタと駆け回る飼育員を尻目に、園内にまばらに残る子どもたちを見つけては、その小さな手にフッと息を吹きかけて霜焼けを作っていく。早くおかえり。だってほら、振り返ってごらん。「もう帰ろう」と説得することを諦めた親たちの、くたびれ切った顔が目に入るはずだよ。こんな寒いところにいたら風邪だって引くかもしれない。子どもたちの間をまわり終えると、気の重い仕事が待っている。それぞれの動物の檻に行き、ねどこに寒気を吹き込む。冷気のふとんを眠っている動物たちにかける。動物たちは体をふるわせ、あるものたちは丸まっている体をさらに縮め、あるものたちはさらに互いに身を寄せ合う。そのあとは園内で暮らしている猫たちのところへ行き、猫風邪を拗らせている子猫の魂をそっと体から引き抜く。息を吹きかけると子猫の体はすぐに冷たく、硬くなる。ずっと横についてきていたユキの表情が険しくなるのがわかった。初日からこの仕事は酷だっただろうか。今日はもう休みなと声をかけ、カバの檻の前にいる二人連れの女性のところに向かう。少し前に見かけたときも、同じ場所で佇んでいたはずだ。貝殻つなぎをした手はすでに真っ赤に冷え切っているから、霜焼けは作らなくてもいいかなと思う。二人の手をそっと持ち上げて、左の女性のコートのポケットに入れる。体が動いたことで、止まっていた二人の時間も動き始めたのだろう。帰ろうか、と互いにつぶやき、広場を突っ切ってゲートに向かって歩き始める。足元では、ザクザクと霜柱が音をたてている。ポケットに入っている恋人の手の冷たさとぬくもりを感じながら、霜柱のありそうな地面を選んで歩く。当然まっすぐは歩けない。右へ左へとうねうね歩く足取りに合わせて、恋人もうねうねと歩いてくれることが、悠香にはじんわりと嬉しくて寂しい。広場を抜けるとショップがある。天気のせいか、そもそも閉園までは開いていないのか、シャッターはもうすでに閉まっていた。それでも店内の明かりはまだついていて、ショーウィンドウに並ぶぬいぐるみやTシャツが見えたから、ゆるゆるとそちらに近づいていく。ねえ、あのカバのぬいぐるみ、うちにお迎えしたかったな。恋人が呟く。また買いに来たらいいじゃんと悠香は答える。また、ね……。おとずれないことがわかっている「また」は空虚だ。わかっているのに言ってしまったことにムシャクシャして、恋人の目の前のガラスにハァァァと息を吹きかける。カバなんか見えなくなっちゃえばいい。ゲートに向かって歩き出すと、ポケットから恋人の手が抜かれた。きっとついてきてくれてないんだろうけど、足を止められない。振り返ることもできず、むしろわざと歩調を早くする。心がすうっと冷たくなっていく。心臓に心があるわけじゃないってわかってるのに、でも心臓のあたりが冷たい。心臓が十分に冷えたのを確認したニエベは女性の胸から手を離し、今度はショーウィンドウの前に佇む女性のところにいく。涙が流れる頬を両手で挟むと、みるみるうちに寒さで真っ赤になっていく。かわいい。ニエベは思う。泣いている人類は、かわいい。寒さの中で紅潮している頬も、かわいい。数分後には女性は立ち去り、ニエベは閉園後の園内を見て回る。ショップの窓についた結露を凍らせ、バケツの水に氷を張り、霜柱をつくり、ひらひらとせわしなく働いていると、タヌキたちにかけた冷気の毛布を剥がしている新人の姿を見つけてびっくりする。いくら新人だからって、自分たちの役割とルールを知らないはずがない。おい、と声をかける。だがこちらを向いた新人の顔があまりに思い詰めていて、次の言葉が出てこない。中途半端に茶化したような無理くりな言葉が口をつく。やめろ、どうしても天使の仕事をしたいなら、まずはシマウマの縞の本数をちゃんと数えることができるようになれ。

 

 

※『グッド・オーメンズ』の原作者、ニール・ゲイマンは現在、性暴力で告発されています。裁判になったりもしています。グオメはめちゃくちゃ好きな作品だったけど、それは私が性暴力を容認しているということではないです。

文体の舵をとれ、犬のリードをにぎれ

『文体の舵をとれ』の課題。

 

改行等で目印をつけた上で、視点を2回以上切り替える。

 

 なにも泣かなくてもいいじゃない。そう笑いながら春子はふうくんの散歩に葵を連れ出す。

 葵の母親──春子の姉が葵のお気に入りのぬいぐるみに向けて放った「ふうくんが来てからはすっかりただのボロ切れで可哀想」という一言に、葵は「ボロ切れなんかじゃない!」と泣き叫んでカーテンにくるまってしまったのだ。こうなってはあと数時間は口はきかないだろう。

 リードを短く持って駅前の人混みをすり抜けたあとは川べりを歩くのがふうくんのお気に入りのコースだ。俯いて少し遅れてついてきた葵を待つ。すり足で猫背で、スニーカーソックスから見えている足首が寒々しい。右手に無理やりリードを握らせる。こちらを見ていたふうくんが葵に目を向ける。

 

 リードを手に持つと、途端にリードがピンと張ったので葵はあわてて強く握り直す。さっきまでは春子にピッタリと寄り添って歩いていたふうくんだが、今はぐいぐいとリードは引っ張ってくる。走ろうよ、ねえ、走ろうよ、そんな声が聞こえる。リードを持った手をポケットに突っ込み、わざともっとゆっくり歩く。走りたい気分なんかじゃない。引っ張られていたリードが緩み、ふうくんが待っているのがわかる。絶対に目があわないようにつま先だけを見て歩く。この靴、結構ボロボロだな。「ボロ切れ」という母親の言葉を思い出して、また涙が出てくる。涙で滲んだ視界をうろうろしていたふうくんが、堪えきれずにこちらに飛びついてくる。絶対に見ない、と思っていたのに、思わず目が合ってしまう。

 

 ふうくんの説得に負けて走り出した葵を、春子は笑って見送る。あまり遅れてしまわないように、少しだけ足を早める。以前はこの道をふうくんとよくランニングをしていたものだが、去年バイクで事故にあってからは走れない。ふうくんは察しが良いし優しい犬だが、それでもやっぱり走るのは楽しいのだろう。次の橋までいった一人と一匹が、ふわふわとこちらに戻ってきて、今度はみんなで並んで歩く。葵が俯き始めると、ふうくんが途端に数歩前に出る。こっちを見て。顔をあげて。ほら、走ろう。葵に向けられたキラキラした眼差しに、春子は何度も笑ってしまう。

 

掌編小説「なみのこり」

文体の舵をとった課題を改稿したやつ。
(元は一文で書けだったけど、課題として完成させてあとの派生物だからそのレギュレーションは守ってないです)

 

「なみのこり」
 君がお気に入りのベッドに最後に遺したぬくもりを、テレビ台に飾っていた寄木細工の小箱の中に大切に大切に閉まっておこうと決めた僕は、仕事を辞め、友人との連絡も断ち、小箱を開けてはそこからこぼれ出てくる君のぬくもりに包まれ、いつかそのぬくもりがなくなってしまうのだろうかと恐ろしくなって小箱を閉め、開けては、閉め、開けては、閉め、開けては、閉め、開けては、閉め……と繰り返していたのだが、突如、その反復を打ち破る、ドンドンと叩かれた玄関の扉、開けろと怒鳴るあいつの声、ガチャガチャと回されるドアノブの音、さすがにそれらを無視することができずに三ヶ月ぶりに顔を洗って出かけることにしたのはいいものの、すでに始まっている冬の予兆に耐えきれずに座り込んでしまった公園のベンチで、何度か大きく息を吸い、ポケットから小箱を取り出し、手のひらに乗せてそっと開けると、陽だまりみたいな君のぬくもりがいつものように溢れ出てくるその安心感──になんとか助けられ、胸に溜まった冬の予兆を長いため息とともに吐き出したちょうど瞬間に、ハッと息を吸ってむせ返ってしまったのだが、なぜってそれは、視界の隅から年老いたハチワレの猫が現れて、まるで君のぬくもりの心地よさを知っているかのようにその真ん中に陣取ってのんびり毛づくろいをし始めたからであり、もしや……と思った僕は、木漏れ日の下、滑り台のふもと、ジャングルジムの中と、そこかしこで小箱を開けてみたのだが、ほっそりとした三毛猫、カギ尻尾のサビ猫、サクラ耳の黒猫……その度にどこからか知らない猫が現れて君のぬくもりの中でのんびりとくつろぎ始め、ひとっこ一人いなかった公園は見知らぬ猫たちの姿でいっぱいになり、どうにか息ができるようになった僕が猫たちを驚かせないように気を配りながらもとのベンチに座ったのも束の間、隣に座っていたあいつが、あれ、モカだ、と呟いて立ち上がり、場を乱したくない僕が思わずその手を掴んでグッと引っ張ったものだから、ドシンと尻餅をついたあいつ、公園に響くイテッという悲鳴、ごめんと呟く僕、煙のように立ち消えてしまった猫たち──空っぽになった公園を眺めながら、子どもの頃に実家で飼っていたモカはあんなふうに長いしっぽの先端だけが茶色だったし、そんな猫は他に見たことがないんだ、と呟いたあいつは、もう一回やってみようと言ったときにはもうすでに僕の手の中の小箱を開けており、あたりを見回した僕とあいつの目に飛び込んで来たのは、近づいてくる親子連れの中の一匹の子猫──子猫のときの君に本当にそっくりな子猫の姿で、それはもう遠目にもわかるくらいに潤んだ瞳と、鼻くそまみれの鼻が表す子猫の健康状態は、君への罪悪感を抱いた僕と、僕の表情の揺らぎを見つめるあいつに同時に、この子を連れて帰ろうと言わせたのであり、だからこそ、僕は帰宅してまず最初に、小箱から取り出した君のぬくもりを、君のお気に入りのベッドの上に広げ、まだ残っている君の匂いをいっぱいに吸い込んで、君に「さようなら」とつぶやいたのだ。あいつが抱いて帰ってきた子猫は、手を離れるとまっすぐベッドに向かい、もうずっとそこにいたかのようにくるりとそこで丸まった。

ぬいぐるみづくりで一番楽しいのは、縫い上がったあとにひっくり返すとき

文体の舵をとるやつで書いた掌編小説。

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 長時間の縫い物はもうできなくなってしまった。あとはひっくり返して綿をつめるだけ、というところまでできたので、結び留めを作ってから針と布を裁縫箱の上に置いた。時計を見ると、縫い始めてからまだ30分も経っていなかった。いつからこんなに年老いてしまったのだろうか。昔はどれだけミシンを回しても、どれだけ縫い物をしても、疲れを知ることなんてなかったのに──。娘の入学式のワンピースを作るために、夜鍋をしたこともあった。鼻歌を歌いながら何時間でも、カタカタカタとミシンの回る音にあわせて布を送り出したものだった。ワンピース用のうす紫の生地は、娘が突如これがいいと言い出してゆずらなかった。別の生地で作りかけていたのに……。それでも、滅多にわがままを言わない娘の願いなので聞いてあげたいと思ったのだ。これが終わったらランチョンマット、体操着の袋、息子の布おむつ……。私が縫ったものたちが子どもたちを形づくり、かれらの生活を彩っていく、そのことがとても誇らしかった。

 あまりにしょぼしょぼするのでしばらくの間ギュッとつむっていた目をあけて、コーヒーを淹れにキッチンにたった。夫が愛用していたコーヒーメーカーはコンセントを何回か抜き差しするとどうにか電源ランプが青くともった。コーヒーを持ってソファに戻ると、クッションの隣に置いてあるオランウータンのぬいぐるみと目があった。「ほら、ライナスの毛布のようにいつもそばに置いておいてね。それぞれのパーツはきちんと考えて作ってあるの。小さい手でも握れるように、大きな腕で包まれることができるように、ふわふわのお腹に顔を埋めることができるように──」そう私が力説しながらこのぬいぐるみをプレゼントしたとき、息子は満面の笑顔だった。孫の小さくてプクプクとした手は、オランウータンの手を握るには小さすぎる気もしたが、三ヶ月もしたら私の最高傑作と仲良く手を繋ぎながらお昼寝をしてくれるだろう、最高傑作、そう、私からはじめての孫に贈る、最高傑作だった。はずだった。

 裁縫箱の上に置いたフェイクファーの塊を手に取り、縫い目に力がかかってしまわないように丁寧に裏返していった。ほんとうは、ほんとうは先日娘に生まれた子どもは、私のぬいぐるみなんて待っていないかもしれない、だってほら、息子の家に遊びに行ったら、オランウータンは紙袋に入れられて押入れの隅に置かれていたし、不憫に思って持って帰ると伝えたときも、引き止められもしなかったじゃない。ヴァイオリンの発表会の衣装を作ると言ったときも、孫がカタログで選んだやつがあるから大丈夫だと断られたじゃない。作った日用品は受け取ってくれたが、それだって使ってくれたのかどうかは──。フェイクファーを裏返していくと、布の切り返しをつくって立体感を出した賢そうな口元や、布屋さんを何軒もめぐって感触を確かめながら選んだすこし艶感のある毛並みが姿を現した。かわいい出来上がりに満足しているはずなのに、気がついたら溢れてきた涙を、裏返したばかりの腕でそっとぬぐった。まあ、いいか、これからは、あなたは、ひとりぼっちだったこの家で、私の最高の友達でいてね、まだ目を縫い付けていない顔に向かって、腹に力をこめて話しかけてみた。

回り続ける大縄を見てる

文体の舵をとるやつ。

今回の課題は形容詞と副詞を使わない。

英語の形容詞・副詞と、日本語の形容詞・副詞はけっこう違う気もするなと思って、連体詞も使わないことにした。

 

***

 

 エスカレーターの前に立つ。段が顔を覗かせる。段が顔を覗かせる。段が顔を、段が顔を、段、段、段……。僕は僕に言い聞かせる。乗るぞ。乗る。エスカレーターに乗る。目の前をエスカレーターが、上がっていく。顔を覗かせた段に乗るぞ。……今はタイミングが合わなかった。段に乗るぞ。……蚊の羽音が気になって踏み出せなかった。乗るぞ。……追い越していった人に気を取られてしまった。次こそは乗るぞ。……くしゃみが出そうだ。次こそは! …………行ってしまった。
 右足を踏み出して、右足がエスカレーターに乗っかって、左足が後を追う。僕にはできる。左足の動きをイメージする。僕にはできる。右足を段に乗せる。左足がついていかない。右足が上がっていく。僕と左足は取り残されてしまう……。これは僕の妄想。
 隣に子どもが立っていた。僕にはわかった。子どもの逡巡を感じとることができた。息遣いが聞こえた。横目で子どもを盗み見る。子どもが右足を持ち上げる。僕は息を呑む。右足はもとの場所に戻される。僕は息を吐く。子どもがこちらを見た。僕は子どもに右手を差し出す。子どもは首を横に振る。頷いてみせる。子どもは首を横に振る。頷いてみせる。子どもは、首を、横に振る。僕は前を向く。掛け声をかけて右足を持ち上げる。エスカレーターの手前へと踏み出し、もとの位置に戻す。掛け声をかけて、右足を踏み出し、もとに戻す。掛け声、右足、掛け声、右足、掛け声、右足……。子どもを見て、右手を差し出す。頷く。子どもが僕の手を握り返す。僕たちは前を向いて一歩前に出る。僕たちはエスカレーターを見る。僕たちは息を吸う。僕たちは息を止める。僕たちにはできる。掛け声、右足、持ち上げた! ……引っ込めた。僕にはできない。僕にはできなかった。右手が引っ張られ、子どもの手が離れていく。顔を上げる。驚いた子どもの顔が上の階へとあがっていく。僕は手を振る。僕は手を振る。

 

***

 

エスカレーターに乗るのは苦手でした。大縄を跳ぶのも。

そういう話を書こうとして「次々と」が使えないじゃんと思い、エスカレーターのステップが次々と現れてめまいがするような主人公視点を、形容詞と副詞を使わずにどうやったら出せるかなーと思いながら書きました。

お地蔵さんは軽くて重い

文体の舵を取りました。

 

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これは「構成を反復する」という課題。

合評会を踏まえて加筆修正したバージョンです。結構気に入っている。

 

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 あのお地蔵さんに出会ったのは、茹だるような暑さの日だった。いつもの通り昼過ぎにどうにか起き上がって、家の前の自販機でサイダーを買おうと玄関を出ると、自販機の隣にあった古びたお地蔵さんが、ピカピカの、真新しい姿になっていた。さらに妙だったのは、つるりとしたお地蔵さんの頭部にふさふさの小さな左耳が生えていることだった。思わず口角が緩んでしまったが、せっかく我が家の前に来てくれたのに冷遇するのは申し訳なく、お供物を置いてあげることにした。地蔵に供物をあげるなんて人生で初めてだ。

 お地蔵さんは次の日も、その次の日も、そのまた次の日もそこにいた。昼過ぎに起きて、キッチンにストックしてあるまんじゅうを二つ手にとって、サイダーを買いに行く。まんじゅうを供えると、心なしかお地蔵さんの鼻がヒクヒクと動くのだった。

 さらにその次の日は数日ぶりに暑さがぶり返し、お地蔵さんの耳が少ししおれているように見えた。残暑の中、ずっとこうしているつもりなのだろうか。サイダーと一緒に冷たい水を買ってお地蔵さんの頭にザバザバとぶっかけた後に、置いてあるブラシでこすってあげる。もとの毛並みを想像しながら、それに沿って。気をつけていたのにうっかりブラシが耳に触ってしまい、小さな耳がピクリと動いた。緊張が走る。私も手を止める。永遠に思えた一瞬が過ぎ去り、お地蔵さんの全身がブルリとふるえると、ヒュッと耳が引っ込んだ。思わず吹き出しそうになるのをこらえて、仕事をしに家に戻った。

 徹夜が響いて、次の日は夕方まで起き上がることができなかった。サイダーが飲みたい。サイダーが。落ちるように階段を降りる。玄関の扉を開けると、門の前にお地蔵さんが倒れていた。駆け寄って抱き上げる。家に連れて入る。顔に水をぶっかける。保冷剤を首と脇に当てる。冷房の効いた部屋に寝かせる。レンジで温めたご飯をそばで食べていると、お地蔵さんがブルリと体をふるわせて、ひょこっと耳が生えてきた。ホッとして笑ってしまう。

 9月も後半に差し掛かろうというのに、今日もまた午前中から三十五度を超えるらしい。お地蔵さんのことが気になって、珍しく朝から起きてしまった。不慣れなことをしたので体がとても重い。ボウルにいっぱいの氷水を作って、おまんじゅうと一緒にお地蔵さんの前に置く。ふさふさの左耳をそおっと撫でてみたが、今度は耳が姿を消すことはなかった。100円ショップに行って、安物のサンシェードで日除を作ってあげよう。思いついたら吉日。善は急げ。錆びついた自転車で駅前に向かって走り出す。三分とたたずにシャツが汗でびしょびしょになり、いつも通り買い物は日が沈んでからにすれば良かったと思う。

 駅に向かう道すがら道すがら、今日はやたらとお地蔵さんの姿が目につく。自販機の横、祠のそば、木のふもと、バス停。日陰にちんまりと姿を現したピカピカで真新しいお地蔵さんはどれも、頭にふさふさの小さな左耳が生えていて、そばには思い思いのお供物が置かれている。 

舵を取って料理をした

文体の舵を取ろうとしています。これです。

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〈練習問題②〉ジョゼ・サラマーゴのつもりで

一段落〜一ページ(三〇〇〜七〇〇文字)で、句読点のない語りを執筆すること(段落などほかの区切りも使用禁止)

 

 冷蔵庫を開けるとそこに入っていたのはナスが五つとトマトが一つと賞味期限が三日過ぎた厚揚げが三分の一とそれから少し干からびたニンニクと青じそでひとまずそれを全部取り出してまあ何を作るかは作りながら考えようと思いつつ最初に手をつけるのはやっぱりニンニクでひとまず皮を剥いて刻みながら温めたフライパンにパラパラと落としていい匂いがしてきたので嬉しくなって五つとも切ってしまったナスを全部炒めてみるけれどこれでは流石に多いので半分くらいは火が通ったら引き上げてボールに入れて刻んだ青じそをまぶして麺つゆに浸してたりなどしていたら火にかけたままだったフライパンではナスがくたくたになって焦げかけていたのでこれはもうトマトと厚揚げと煮るしかないなとなりながら換気扇を回そうと壁に手を伸ばすと死角になっていたジャガイモが目について今から入れるのは遅いかなとしばし思いを巡らせてひとまず塩でも振るかとシンク下の扉を開けたらカレールーが目についたので全部まとめてカレーにすれば煮込んでいる間にナスも冷えるなと思う

 

 

【若干の言い訳】

書いている途中に教えてもらったのですが、この課題は、文章の切れ間はあっても良い(通常「。」が入るであろう場所があっても良い)が、とにかく句読点を使わない、ということだったみたいです。一文で書け、という意味だと思って書き始めていたので、30分で書くという制限を守るために、そのまま突き進んで書きました。

一文の中で行き当たりばったり感を出す、作り手のキャラクターを滲ませる、というあたりが目標でした。

読んでくれた人に「ひとまず」と三カ所使っていると指摘されて、行き当たりばったり感を出すための単語のチョイスとして、30分の制約の中で出てきた手癖すぎて笑いました。