ふざけた黒猫

VGプラス(Kaguya)の井上彼方といいます。

舵を取って料理をした

文体の舵を取ろうとしています。これです。

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〈練習問題②〉ジョゼ・サラマーゴのつもりで

一段落〜一ページ(三〇〇〜七〇〇文字)で、句読点のない語りを執筆すること(段落などほかの区切りも使用禁止)

 

 冷蔵庫を開けるとそこに入っていたのはナスが五つとトマトが一つと賞味期限が三日過ぎた厚揚げが三分の一とそれから少し干からびたニンニクと青じそでひとまずそれを全部取り出してまあ何を作るかは作りながら考えようと思いつつ最初に手をつけるのはやっぱりニンニクでひとまず皮を剥いて刻みながら温めたフライパンにパラパラと落としていい匂いがしてきたので嬉しくなって五つとも切ってしまったナスを全部炒めてみるけれどこれでは流石に多いので半分くらいは火が通ったら引き上げてボールに入れて刻んだ青じそをまぶして麺つゆに浸してたりなどしていたら火にかけたままだったフライパンではナスがくたくたになって焦げかけていたのでこれはもうトマトと厚揚げと煮るしかないなとなりながら換気扇を回そうと壁に手を伸ばすと死角になっていたジャガイモが目について今から入れるのは遅いかなとしばし思いを巡らせてひとまず塩でも振るかとシンク下の扉を開けたらカレールーが目についたので全部まとめてカレーにすれば煮込んでいる間にナスも冷えるなと思う

 

 

【若干の言い訳】

書いている途中に教えてもらったのですが、この課題は、文章の切れ間はあっても良い(通常「。」が入るであろう場所があっても良い)が、とにかく句読点を使わない、ということだったみたいです。一文で書け、という意味だと思って書き始めていたので、30分で書くという制限を守るために、そのまま突き進んで書きました。

一文の中で行き当たりばったり感を出す、作り手のキャラクターを滲ませる、というあたりが目標でした。

読んでくれた人に「ひとまず」と三カ所使っていると指摘されて、行き当たりばったり感を出すための単語のチョイスとして、30分の制約の中で出てきた手癖すぎて笑いました。

読む前に書いた

読む前に書け、というイベントに参加して書いた小説です。

その場で与えられたお題に沿って、15分で原稿用紙一枚にエッセイでも詩でも小説でもなんでもいいので書く、というワークショップ。

「情熱」がお題でした。

 

 

「情熱」

 思い返すといつも雨の日だった。玄関で傘をバタバタとさせ、僕の靴をびしょびしょにする。本当に最悪だ。
 手にはいつも、雨でしっとりとしたケーキの箱を持っていて、僕の好きなエクレアが入っている。機嫌の取り方がワンパターンなんだよ。工夫しろよ。喉まで出かかった言葉は、それでもいつも飲み込んでしまう。
 濡れちゃったからさ、バスタオル貸してよ。
 そう言われた時に差し出すのが、いつものふわふわな水色のバスタオルな時点で、どんなに怒った顔をしていても僕の負けだ。
 傘さしてんのになんでそんなに濡れてんだよ。精一杯怒った口調で言ってみる。もう帰って来んなって言っただろ。泊まるとこなんてないしお前の布団はもう捨てたよ。一緒に飼っていたカメだって、こないだ死んだ。お前がいなくなったから、お前が早く帰ってこないから。
 許されるってわかってるくせに、本気で困った顔で、エクレア買ってきたよってお前は言う。

文体の舵を取るぞ

文体の舵を取ろうとしています。これです。

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〈練習問題①〉文はうきうきと

問1:声に出して読むための語り(ナラティヴ)の文

 

 んーーーーー、なんもわからん。わかってんのはさ、明日俺たちが起きたらさ、俺たちは今日のことをなあんにも覚えてないってこと。おしゃべりの内容も、うたった歌も、なあんにも。お前今、何曲目? 三? んなわけねえよ、だってカラオケ入ったの二時間前だよ? 一曲五分だとしても俺たち二人で六曲うたうのにさ……。五と……二と六かける……? 無理だ。お前数えて。んな? もううたった歌すら覚えてないわけ。こんな感じだからさ、俺たちが明日起きたらぜーんぶ忘れちゃってるわけ。んで、覚えてるのは俺とお前、俺たちがハッピーだったなっていうこの感覚。でもさあ、人生ってそんなもんじゃん。中身はどうでも良くてさ、この感覚の積み重ねこそが大事ってわけ。さっき、店出たら目の前にこのカラオケあってさ、こりゃ、陰謀だーって叫んだよね、俺たちに気持ちよーくハシゴさせる陰謀。ほら、もうこの店も出るよ。飛び石で川渡る時さ、もんじゃ焼き作ろうぜ、うん。もんじゃ焼き。え? わかれよ、そこは。

 

問2:動きのある出来事をひとつ、もしくは強烈な感情(喜び・恐れ・悲しみなど)を抱いている人物を描写する。

 

 たらいを頭に乗せたまま木にもたれ、もう少し、もう少しと休んでいた鬼婆だったが、我が家で〝肉〟を待ちわびている子どもたちの姿を思い浮かべ、重い腰を上げて走り出した。ところが今度は軽い軽い。子どもを思う気持ちか、休憩のおかげか、びゅうびゅうと風を切るのが心地よく、岩も水たまりも全てを飛び越え、宙を駆けるように進んでいく。

 ……が、さすがに軽すぎるのではないと思った鬼婆は、頭の上のたらいを地面におろした。そしてたらいの中を一目見るや、ぎりりと歯軋りをして元来た道を走り出した。ドシンドシンと踏み下ろす足は、背後に小石を蹴り飛ばし、もうもうと砂埃を立てている。あの男ー、どこ行った。

 

 

【若干の言い訳】

問1は東京弁をいわゆる「標準語」ではなくて「方言」として書く。「酒」「酔う」などを使わずに文章で状況を伝える(その意味ではハシゴはちょっとずるいかも)。というのがコンセプトです。

問2は「食わず女房」という民話の一部です。福音館から出ている絵本『くわずにょうぼう』は、マジで声に出して気持ちいい文章です。課題を見たときに最初に思い出した絵本でした。みんな読んでほしい。

 

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初めての朗読イベント「マイクからSF ライヴで楽しむ小説」をやったよ

Kaguya Booksで朗読とトークのイベントをやりました!

一人で読むもよし、
みんなで読書会をするもよし、
さまざまな楽しみ方ができるのが読書の魅力。
朗読とトークで味わうSF小説はいかがですか?

ということで、朗読とトークで《地域SFアンソロジー》シリーズを楽しむイベントをKaguya Booksで開催しました。

とっても楽しかったし、アーカイブをたくさんの方に見ていただきたいので、感想のブログを書きました。アーカイブは7月29日(月)23:59まで閲覧できます。ギリギリまでこちらからチケットも購入できます。

朗読のパートでは、北野勇作さん、なかむらあゆみさん、御守ミコ(きのホ。)さんに、『大阪SFアンソロジー:OSAKA2045』、『巣 徳島SFアンソロジー』、『京都SFアンソロジー:ここに浮かぶ景色』の収録作品を朗読していただきました。

トークのパートでは、北野勇作さん、高山羽根子さん、吉村萬壱さんに地域とSFや方言とSFについて色々お話しいただきました。

当日の様子

トップバッターは北野勇作さん。『大阪SFアンソロジー:OSAKA2045』に収録されている、北野勇作「バンパクの思い出」を朗読してくださりました。すごいスピードで朗読される関西弁の“べしゃり”が圧巻でした。

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なかむらあゆみさんは、『巣 徳島SFアンソロジー』より、なかむらあゆみ「ぼくはラジオリポーター」を朗読してくださりました。登場人物たちの顔が見えてくるような朗読で、とても素敵でした。ルルのまっすぐさが伝わってきました。

私の好きなところ(ラジオリポートを通して、毎年海外旅行に出かけているおばあちゃんの存在を知った別のおばあちゃんが、自分も海外旅行に行ってみたというエピソード)が朗読されていてとても良かったです。

books.kaguya-sf.com

京都を拠点としたアイドルグループ、きのホ。の御守ミコさんは、『京都SFアンソロジー:ここに浮かぶ景色』より、鈴木無音「聖地と呼ばれる町で」、織戸久貴「春と灰」の一部を朗読してくださりました。

これは他の方もSNSで言っていたのですが、北野さんとなかむらさんは朗読用に多少のアレンジを加えた上で、物語の冒頭というか、立ち上がっていくところを朗読されたのですが、御守さんは自分の好きなところを読んでくださったというのが面白かったです。

どちらも物語のクライマックスというかラストの部分だったのですが、どこをチョイスするかということも含めて、御守さんがどのようにこの作品を味わったのかということがしみじみと伝わってくる素敵な朗読でした。

books.kaguya-sf.com

三者三様の朗読は、朗読というのは、どこをどのように読むかということ込みで一つの〈解釈〉であり、作品に新しい可能性を吹き込む作業なのだなと改めて思いました。

ちなみに「聖地と呼ばれる町で」の著者である鈴木無音さんも感想のブログを書いてくださっています。

suzukibuin.hatenablog.com

トークのパートもすごく面白かったです。最初は、「方言と小説」というところから話が始まりました。「喋っている言語」と「書くための言語」と「フィクションを執筆する時の言語」が必ずしも一致するわけではなく、その違いは実は、フィクションを書くとはどういうことなのか、ということと絡み合っているような気もします。

そこから派生して「一人称」の話や「箱庭を作る装置としてのSF」などなど、面白い話が盛りだくさんでした。詳しくはアーカイブを視聴してください。

ちなみにトークの冒頭、吉村さんと北野さんが前回の万博の思い出話に華を咲かせ始め、それを「面白いが本題からは外れているのでいつこれに介入して止めるべきか」というのを迷いながら聞いていたのが、この日一番緊張したことの一つでした笑

ということで、地域SFアンソロジーを楽しく読んでくださった読者の皆さんも、SF好きな皆さんも、SF小説を書かれる皆さんも楽しんでいただけると思いますので、ぜひアーカイブをお聞きください。

配信って難しい!

実は今回のイベント、Kaguya Booksとして初めての朗読イベントでした。トークのイベントは色々したことがありますが。また、ゲストも参加者も会場とオンラインのハイブリットということでオペレーションはなかなか緊張しました。

会場のクエスチョンの方には配信の機材についても相談に乗っていただきまして、部屋のサイズと朗読というイベントの性質を踏まえて、機材をお貸しいただきました。本当にありがとうございました。

……が、朗読をきれいに拾うことを優先したため、会場の拍手や笑い声が配信では全然聞こえなくて、その点は申し訳ございませんでした。会場では温かい拍手を何度もいただいたのですが、その優しい雰囲気は伝わりにくかったかと思います。

また、実は北野さんの朗読は、ブーっというブザー音で中断されて、朗読と現実がないまぜになったような終わりを迎えるのですが、これも「ノイズ」として判断されてしまったのか配信では聞こえなくなってしまっています。

朗読の間に私と北野さんと御守さんでお話ししている音声も、ところどころ聞こえにくいところがあるかと思います。

機材にどれくらいお金をかけるかということと、イベントを赤字にしないということと、どうやったら会場の皆様にも配信の皆様にもちゃんと情報を届け、楽しんでいただけるのか、というあたりをどうブラッシュアップしていけるのか、というのは今後の課題です。

 

ちなみに、朗読→短いおしゃべり→朗読→短いおしゃべり→朗読→短いおしゃべりという構成は、北野勇作さんが毎週参加されている〈犬街ラジオ〉を参考にさせていただきました。

twitcasting.tv

一度の朗読だけでお話を聞き取るということが、私自身はけっこう苦手で、(なの今回のイベントでもどの小説を読むかを事前にお知らせして、予習ができるようにしました)朗読だけで30分、40分と続くと、普段朗読を聴き慣れている人じゃないとちょっと疲れてしまうかな、と思ってこういう構成にしてみました。

朗読イベントは色々な形でやっていきたいので、こういうふうにするといいかも、というアイデアがあったらぜひ教えてください!

猫と暮らし、ぬいぐるみと喋る

 明け方に一度目が覚める。曖昧な意識の中で、足元に猫がいるのを感じる。踏み潰さないようにそっと足の位置を動かしながら寝返りをうつ。ああ、失敗した。起こされて不快だったのか、猫がもそもそと上にあがってきた。もう少しそばにいてほしくて、頭を撫でて引き止めてみる。だが猫は布団から出て行ってしまった。寂しさで気持ちはキュッとなるが、私の意識は遠のいていく。

 目覚ましがなっている。アラームを止める。頭がオンを切り替わるのを待ちながら、布団にくるまって寝ている間に来たメッセージを確認する。ふしふしと鼻息をたてる音が聞こえて、布団から顔を出す。そっと布団を持ち上げ、猫を招き入れる。

 私の腕にアゴを乗せている猫は、ごろごろ言いながら目をパッチリ開けている。しばらく一緒にダラダラするけど、寝はしないつもりなのだろう。私は今、起きようと思ったんだけどね。まあ、あと五分くらいは横になっていても大丈夫。案の定猫は、数分後には立ち上がって布団を出て行った。

 

***

 

 ぬいぐるみと喋る。ぬいぐるみも喋る。喋るといっても色々。ぶつぶつと声に出して喋ることもあるし、頭の中で喋ることもある。ぬいぐるみたちは時折、私が思ってもないことを言う。

 カモノハシのぬいぐるみココ・キウイ氏は、兄がオーストラリアから連れて帰ってきてくれた。うちに来てすぐのココ氏は、自分のことをキーウィだと思っていた。「あなたはカモノハシだと思う」と言ってうちにいる他のカモノハシのぬいぐるみと引き合わせたところ、大変ショックを受けてしばらく口を聞いてくれなくなった。悪いことをしたなと思った。

 ちなみにココ氏はそれからしばらくして、自分はキーウィでもありカモノハシでもあるという結論に達して、今は幸せに暮らしている。

 

***

 

 二人がけのソファに寝転んで本を読む。背中にはいい感じにクッションをあてて、少しだけ体を起こす。

 黒猫が来た。めざといね。黒猫は私のお腹を少しだけ掘り掘りして、二、三回体の向きを変え、むにゃむにゃと少し文句を言いながら身体を落ち着けた。ポイントは背中にクッションをあてて「少し体を起こす」こと。そうしたら高確率でお腹の上で落ち着いてくれることを私は知っている。軽くてふわふわであったかい黒猫がお腹の上にいることが嬉しくて、多幸感に包まれたまま、そのままソファで寝てしまう。しばらくすると、狭いソファの上では伸ばせない足がしんどくなってくる。だんだんと腰も痛くなってきて、体をもぞもぞと動かす。途端に黒猫はプイと行ってしまった。

 起き上がって仕事に戻る。

 

***

 

 ココ・キウイ氏が、自分をカモノハシでありキーウィでもあるという結論に達したのは、いきもにあというイベントに遊びに行ったことがきっかけだ。いきもにあは、物販や展示、講演会など様々角度から生き物を知り、楽しむイベントだ。手作りのグッズやぬいぐるみを作っている作家さんが多数出店していて、生き物好きにはたまらない。

 自分はキーウィだと思っていたのにカモノハシだと指摘されて混乱に陥ったココ氏は、この生き物の祭典に行ったら自分のアイデンティティについて何かヒントが得られるのではないかと考え、ブース巡りに連れて行ってほしいと私に頼んできた。複数の出店者から「かわいいカモノハシですね」などと声をかけてもらいながら二人でブースをうろうろした。そして見つけたのだ。卵型の体にクチバシや足のついたキーウィのキーホルダーを。

 ココ氏はこれを見て、自分はカモノハシでありキーウィであるという、私には想像もつかなかった結論に至った。というのは、私の家には卵型の体にクチバシと手足、尻尾のついたカモノハシのぬいぐるみがいるのだが、この卵型のカモノハシと卵型のキーウィが似ていたのだ。それを見て、ココ氏はカモノハシとキーウィは実はとても近しい(あるいは同じ)生き物なのではないかという結論に至った。

 ちょっと意味がよくわからないなあと思う人もいると思う。まあ、私もココ氏からこの話を聞いたときはよくわからないなと思った。よくわからないなりに解釈すると、ぬいぐるみには、「デフォルメされる」という特徴があるため、ぬいぐるみ的アイデンティティは生物学の分類とは異なるあり方があるということなのではないかと思っている。

 

***

 

 Zoomのインタビューが始まったとたん、猫たちがソファの周りで鬼ごっこを始めた。さっきまで寝ていたじゃないか。二匹が立て続けにキーボードの上を駆け抜けていき、私は思わず悲鳴をあげる。インタビューの相手から「かわいい猫たちですね」と言われ、そうなんですよね、と思う。世界で一番かわいいんですよ、と思う。思うけど、口では「邪魔してしまってすみません」と言う。

 インタビューが終わりZoomを閉じてパソコンをたたむ。すかさず猫が遊ぼうよと声をかけてきた。よく見ているなと思う。遊んでもらいやすいタイミングがいつなのかよく知っている。だけど私が作業に集中しているときやピリピリしているときに遊んで欲しくて飛びかかってくることもある。わかってないなと思う。「他者」だなと思う。それが少し心地よくもある。